東京地方裁判所 昭和59年(ワ)10829号 判決 1986年9月09日
原告 甲太郎
右訴訟代理人弁護士 堀敏明
被告 東京都
右代表者知事 鈴木俊一
右指定代理人 大嶋崇之
<ほか三名>
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、一二七万三四八〇円及びこれに対する昭和五九年一〇月七日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文同旨
2 仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1(一) 原告は、韓国籍を有する在日外国人であるが、昭和五九年六月八日(以下「本件当日」ともいう。)午後三時ころ、隣人の乙山春夫(以下「乙山」という。)から借用中の自転車(以下「本件自転車」という。)に乗って東京都港区南麻布二丁目一五番一号所在の警視庁麻布警察署古川橋派出所(以下「本件派出所」という。)前を通りかかったところ、本件派出所で勤務していた警視庁麻布警察署警ら課警ら第二係巡査竹内好明(以下「竹内巡査」という。)に、「おい、今日も断って乗ってきたのかよ。」と呼びとめられた。
(二) 竹内巡査は、原告に対し、本件自転車を所有者の承諾を得て使用しているのか尋ね、原告の身分を確認するための質問を始めた(以下「本件職務質問」という。)。
これに対し、原告は、本件派出所の近くに居住しており、同派出所の管轄内の住民であることなどを述べ、これらを確認すれば、容易に原告の身分は判明する旨を話したが、竹内巡査は、これに耳をかそうとせず、原告に対し、外国人登録証明書(以下「外国人登録証」という。)の提示を求めた。
(三) 原告は、竹内巡査に対し、外国人登録証を示しはしたものの、これを手渡すことはせず、なぜ外国人登録証を見たいのか納得のいく説明を求めたが、竹内巡査は執拗に外国人登録証を手渡すよう迫った。
(四) 原告は、竹内巡査の本件職務質問に納得がいかなかったので、同巡査に対し上司と連絡をとるように何度も頼んだところ、同巡査はやむなく上司と電話連絡をとった。そこで、原告は、右電話によって右上司に対し、本件職務質問の実情を訴え、本件派出所まで来てくれるよう懇願したが、右上司は、原告を全く相手にしなかった。
(五) 原告は、同日、午後四時過ぎに至り、警視庁麻布警察署交通課交通執行係巡査塚原勲(以下「塚原巡査」という。)が、白バイに乗って本件派出所前を通りかかったので、塚原巡査に本件派出所に来てもらい、それまでの経緯を説明したところ、午後四時三〇分ころになり、原告はようやく竹内巡査の本件職務質問から解放された。
2 竹内巡査は、本件当日の二、三日前か、それ以前に、本件派出所前で、原告に対し職務質問を行ない、その際、原告の外国人登録証を確認し、さらに乙山に対して本件自転車の使用の許諾の有無を調べており、原告が本件派出所の管轄内に居住する住民であり、かつ本件自転車については、その所有者である乙山の承諾を得て使用していることを熟知していた。
3 竹内巡査は、被告の公務員であり、本件職務質問はその職務の執行として行なったものであるが、前記2のとおり、原告の身分及び本件自転車使用の許諾を得ていることについて熟知していたにもかかわらず、前記1のように原告に対して執拗に身分の確認を求め、一時間余にわたり職務質問を継続し、その間、原告を本件派出所前で通行人の好奇の目にさらしたもので、竹内巡査の右行為は、韓国人である原告への偏見に基づくものであって、故意に職務質問権を逸脱し、原告の人格を侵害する違法な行為である。
4 原告は、竹内の右行為により、次のとおり損害を被った。
(一) 治療費 三四八〇円
原告は、本件職務質問により重大な精神的ショックを受けたため、神経性胃炎となり、右治療費として三四八〇円を支出した。
(二) 慰謝料 一〇〇万円
原告は、本件職務質問により精神的苦痛を被り、これを金銭によって慰謝するには一〇〇万円が相当である。
(三) 弁護士費用 二七万円
原告は、本件訴訟の提起及び追行を弁護士堀敏明に委任し、着手金として一三万五〇〇〇円を支払い、さらに同額の報酬を支払う旨約した。
5 よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償として一二七万三四八〇円及びこれに対する不法行為の後である昭和五九年一〇月七日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(一)の事実のうち、原告が本件自転車を乙山から借用中であったことは不知、竹内巡査が原告に対し、「おい、今日も乗ってきたのかよ。」と述べたことは否認、その余は認める。
請求原因1(二)の事実のうち、竹内巡査が原告の身分の確認を求めたこと及び外国人登録証の提示を求めたことは認め、その余は、否認する。
請求原因1(三)の事実は否認する。
同1(四)の事実のうち、原告が竹内巡査に対し、上司と連絡をとることを求め、同巡査がこれに応じて上司と電話連絡をとったこと及び原告が右上司と話をしたことは認め、その余は否認する。
請求原因1(五)の事実のうち、塚原巡査が白バイに乗って、本件派出所前を通りかかったこと、同巡査が本件派出所に来たこと、その後竹内巡査が本件職務質問を終えたことは認め、その余は否認する。
2 請求原因2の事実は否認する。
3 同3のうち、竹内巡査が被告の公務員であり、本件職務質問がその職務の執行として行なわれたものであることは認め、その余は争う。本件職務質問が行なわれた経緯は、後記三のとおりであり、右職務質問は違法でない。
4 請求原因4のうち、(一)、(三)の事実は否認、(二)の事実は不知。
三 被告の主張
本件職務質問の経緯は次のとおりである。
1 竹内巡査は、昭和五九年六月八日午後三時ころ、本件派出所において勤務中、本件派出所前の環状五号線(通称明治通り)の本件派出所と反対側の歩道から同派出所前の横断歩道を同派出所に向かって本件自転車に乗って進行中の男性(後に、原告と判明。)を認めた。
2 竹内巡査は、本件自転車は買物かごが取り付けられ、原告が乗るにはサドルの位置が低すぎ、またその塗色が白で、子供用か婦人用であり、一方、原告は年齢六〇歳程度で、白髪まじりのボサボサの頭髪で、よれよれのワイシャツを着用し、汚れた革靴をはいており、しかも両膝を左右に広げるようにして窮屈そうに本件自転車に乗っていたことから、原告の挙動が不自然であると認めた。そうして、本件当時、麻布警察署管内で自転車の盗難被害が多発していたことなどから総合判断して、本件自転車が盗難車ではないかとの疑いを持ち、職務質問をするため、原告に対し、停止するように求めた。
3 竹内巡査は、本件派出所前で、進行してきた原告に対し、「ちょっと待って下さい。」と声をかけたところ、原告は、いきなり「何で止めるんだ」「俺に何の用だ」と大声を出し、職務質問の機先を制して質問から逃れるような気配を示し、また、本件自転車の鍵がこわれていたことから、一層不審の念を強め職務質問を開始したところ、原告は、自転車から降り、興奮した口調で竹内巡査に対し、「何で俺だけ止めるんだ。他にも自転車がいっぱいあるじゃないか。交番の前で騒いでやるぞ。責任者を出せ。」などと大声を出した。竹内巡査が、原告に対して住所、氏名及び本件自転車の所有者について質問しても、原告はこれに答えず、「責任者を出せ。」などと大声で怒鳴り続けた。
4 そうするうち、竹内巡査は、二か月位前に本件派出所前で自転車に乗った韓国籍の男性を職務質問したことを思い出し、原告があるいはその時の人物と同じではないかと考え、原告に対し、「韓国籍の方ですか。」と質問し、外国人登録証の提示を求めた。しかし、原告は、「お前なんかに見せる必要はない。それより早く責任者を出せ。」などと相変らず大声で怒鳴った。
5 竹内巡査は、原告に対する職務質問を続行して疑念を晴らすことができない状況になったので、原告の要求もあったことから、警視庁麻布警察署警ら課幹部室に電話をかけ、警ら第二係長警部補瓜生英明(以下「瓜生係長」という。)に実情を報告したのち、原告を説得してもらうため原告と電話を代ったところ、原告は、「何だこのお巡りは、同じことばかり聞きやがって、こんなんじゃ話にならないじゃないか。お前がすぐ来い。」などと大声で怒鳴るなどし、一方的に電話を切った。
6 同日午後三時一五分ころ、本件派出所前を白バイで通りかかった塚原巡査は、横断歩道に走り出て来た原告から事情を聞き、本件派出所で、原告及び竹内巡査から事情を尋ねた。原告は、塚原巡査に対し、「この前ここを自転車で通った時も、外国人登録証を見せるよう言われて見せた。このおまわり、俺が外国人であることを知っているのに外国人登録証を見せろと言って嫌がらせをしている。これは韓国人に対する差別だ。」などと大声で言い、塚原巡査が原告の身分を確認する必要性を説明し、改めて、原告に対し外国人登録証の提示を求めたが、原告は、それにも応じなかった。
7 竹内巡査は、右の原告の話を聞き、二か月位前に本件派出所前で職務質問した者と原告が同一人物で、本件自転車もその時の自転車と同一ではないかと考え、再び瓜生係長に電話をして、その旨報告し、その指示により、同日午後三時三〇分ころ、本件職務質問を打ち切り、原告は、本件派出所を立ち去った。
8 したがって、本件職務質問に違法の点はないものである。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1の事実のうち、原告が韓国籍を有する在日外国人であること、竹内巡査が本件当日午後三時ころ、本件派出所前において、本件自転車に乗った原告を呼び止め、本件職務質問を開始したこと、竹内巡査が原告に外国人登録証の提示を求め、また原告の求めに応じて上司と電話連絡をとり、原告も右上司と話をしたこと、塚原巡査が本件派出所前を白バイに乗って通りかかった際に原告に呼びとめられ、本件派出所に来たこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
二 前記争いのない事実と、《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。
1 原告は、本件当日午後三時ころ、古川橋病院での治療を終えて帰宅するため、環状五号線(通称明治通り)の、本件派出所前歩道と反対側の歩道上を、乙山から借用した本件自転車に乗って、古川橋方向から四の橋方向、すなわち東から西方へ進行し、本件派出所前の横断歩道を横断すべく一旦信号待ちした後、歩行者用信号に従って右横断歩道を、本件派出所方向へ向け進行してきた。
2 竹内巡査は、本件自転車が買物かごのついた婦人用の白色ミニサイクル自転車で、年齢六〇歳位で白髪混じりの原告が運転するには窮屈そうであり、また、当時、麻布警察署管内で自転車の盗難被害が多発していたこともあって、本件自転車が盗難車ではないかとの疑いを持ち、原告に対し、本件派出所前で、職務質問をするため、停止することを求めた。
3 原告は、「どうして俺を止めるんだ、俺に何の用だ。」「どうして俺を止めるんだ、他にも自転車がいっぱい走っているじゃないか。」「お前じゃ話にならない。責任者を出せ。」などと興奮し、大声を出した。
4 そこで、竹内巡査は、職務質問に協力するよう原告を説得し、原告の住所、氏名、本件自転車の所有者などについて質問したが、原告はそれに全く応じなかった。
そうするうち、竹内巡査は、二か月位前に、本件派出所前で韓国籍の男性を職務質問したことを思い出し、原告があるいはその時の人物と同じではないかと考え、原告に対し外国人登録証の提示を求めたが、原告はこれにも応じないで責任者を呼ぶよう要求し続けた。
5 竹内巡査は、自分一人では職務質問に協力してもらえないし、原告からの要求もあったため、上司に連絡をしようと考え、午後三時一〇分ころ、麻布警察署警ら課幹部室に電話をかけ、上司である瓜生係長に対し、原告が職務質問に協力してくれない旨を報告すると同時に、同係長から職務質問に協力するよう原告を説得してほしいと頼み、原告と電話を交替した。原告は、その電話口で、「お前は誰だ。このお巡りは何だ。今すぐ来い。」と大声で怒鳴り、結局「お前じゃ話にならない。」と言って、一方的に電話を切った。
6 原告は、同日午後三時一五分ころ、本件派出所前で、白バイに乗って環状五号線(通称明治通り)を古川橋方面から四の橋方向へ進行してきた警視庁麻布警察署交通執行係巡査の塚原巡査を見つけると、すぐ同巡査を呼び止め、原告が前にもここを通ったら、竹内巡査に呼び止められ、自転車のことを調べられたり、外国人登録証の提示を求められた、同巡査は、その時に外国人登録証を見て原告を確認しているのに、今日もまた呼び止めて自転車の所有者について質問したり、外国人登録証の提示を求めるなどし、嫌がらせをしているなどと塚原巡査に話し、本件派出所まで来るように求めた。そこで、塚原巡査は、原告と共に本件派出所へ行き、竹内巡査から、原告を職務質問したが、騒いで協力してくれず、また外国人登録証の提示を求めたが応じてくれず、責任者を出せというので担当の係長に電話したが原告の方から電話を切ってしまったなどとこれまでの経過についての説明を受けた。原告は、この間も、「この前、ここを自転車で通った時も外国人登録証を見せた。そしてまたこうやって止めるのは韓国人に対する差別だ」などと大声で話した。
7 他方、竹内巡査は、右の原告の話を聞き、二か月位前に、本件派出所前で職務質問したが、その男と原告とが同一人物で、本件自転車もその時の自転車と同一ではないか、またその際に、外国人登録証の提示を求めて確認したのではないかという気がしてきたので、そうであるのならば職務質問を続ける必要はないと判断し、再び瓜生係長に電話を掛け、その指示に従い、本件職務質問を打切ることにし、原告にその旨を告げた。原告は、両巡査に対し、氏名を教えてくれと言い、その氏名を聞き取ってメモをし、同日午後三時三〇分過ぎに、本件派出所から立ち去った。
原告本人は、本件職務質問を受けた昭和五九年六月八日の二、三日前に、原告は本件派出所前を通りかかった際、竹内巡査から呼び止められて職務質問を受けたが、竹内巡査は、原告に対し、外国人登録証の提示を求めて原告の身分を確認したもので、同巡査が本件職務質問の当時、原告の身分を熟知していたと供述する。しかしながら、原告本人は、さらに、右二、三日前の職務質問を受けて外国人登録証の提示をした後、交通事故の後遺症の治療のために古川病院へ行ったと明確に供述するが、調査嘱託の結果によれば、原告は、同年五月二日以降同年六月七日までの期間は、同病院に通院した事実のないことが認められること、証人竹内好明は、原告を本件当日以前に職務質問したのはその二か月位前のことであり、原告に本件職務質問を開始した当初、漠然と原告を以前に職務質問したかもしれないと思ったが、原告の話を聞いているうちに、その時の記憶がある程度明確になったので職務質問を打ち切ったと供述するところ、右供述は、証人竹内好明の証言により認められる、同人が一日平均一〇件ないし一五件の職務質問をしている事実を考慮するとあながち不自然ではないと考えられること、これらに照らすと、原告本人の前記供述は容易に措信し難い。また、竹内巡査が本件職務質問以前にも原告を職務質問したことは、前記認定のとおりであるけれども、証人竹内好明の証言によっても、同巡査が本件職務質問の際に、原告の身分を熟知していたことを認めるにはいまだ十分でなく、他に竹内巡査が本件職務質問の際に、原告の身分を熟知していたことを認めるに足りる的確な証拠もない。
三 そこで、竹内巡査の本件職務質問行為が違法であるか否かについて判断する。
警察官職務執行法二条一項は、「警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる者を停止させて質問することができる。」と定めるから、警察官は、右要件を充足しない場合にいわゆる職務質問をすることは許されないが、これを充足し、かつ、その必要がある場合には、その者を停止させて質問することが許されることが明らかである。
これを本件についてみるに、前記認定のように竹内巡査は、年齢六〇歳位と見られた原告が婦人用の自転車に乗り、その格好も窮屈そうで不釣合であったことから、原告に対し、本件職務質問を開始し、大声を出して職務質問に応じようとしない原告に対して住所・氏名を尋ねるとともに、同人が韓国籍ではないかと考えて外国人登録証の提示を求めたのであるから、右のような状況の下においては、竹内巡査が本件自転車を盗難車ではないかと疑い、原告を右盗難について事情を知っている者であると判断したことには合理性があり、かつ、質問をする必要性もあったものというべきである。
原告は、竹内巡査が原告の身分等を熟知していたにもかかわらず原告が韓国人であることに対する偏見から本件職務質問を行なったものであると主張する。けれども、本件証拠上、竹内巡査が原告の身分等を熟知していながら本件職務質問を行なったものとは認め難いことは前記二で判断したとおりであるから、原告の右主張は採用できない。
結局、竹内巡査の本件職務質問行為は適法なものであり、これを違法とは認め難いものというべきである。
四 以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 菅原晴郎 裁判官 一宮なほみ 加藤正男)